プカプカの日記

日々おだやかに、すこやかに

いろんな「好き」

6月2日のマイメロセラピーより

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画像:ホームページより

 

マイメロセラピーについて

マイメロディがラジオでリスナーの悩みや思いに答える番組

TOKYO FM 月~木 19:48~19:51 YOU TUBEJFN PARKでも聴けます

そのままでいいんだよ - プカプカの日記

 

この日のおたよりは、結婚して4年が経つ女性から。

「夫のことがかわいくていとおしいが、いつか冷める日がくるのかなと思うとさみしい。」という内容。

マイメロディさんは、『好き』を長続きさせる工夫を何かお持ちですか?」

と問いかけていました。

 

マイメロさんは、

「お母さんがね、『好き』っていう気持ちにもいろんな種類があるんだよ、って言ってたよ。

メロディは、あったか~い焼きたてのチーズケーキも、ひや~っと冷やしたチーズケーキも、どっちも大好き。

だからね、〇〇さんもいろ~んな『好き』って気持ちを大事にして

かわいいだんなさんとニコニコの毎日を過ごしてね。」

と答えていました。

 

「好き」というとキラキラした感じがしますが、

たしかに、ひとことで「好き」といっても、かわいい、たのしい、いとおしい、尊敬・・・といろんな感情があり、

「好き」だからこそ、イラだちや失望が生じることもありますよね。

マイメロさんの例えで考えると、同じチーズケーキでも焼きたてとひんやりではちがったおいしさがあるように、

同じ人でもいろんな一面があり、いろんな表情をみせますし、

自分自身のコンディションによっても、相手に対する感じ方は変わります。

だけど、根っこの部分はそんなに変わらないような気もします。

 

以前私は、人にも物事にも「好き」という感情をなかなか持てなくて、

何事にも批判的になりがちでした(今も時々そういう傾向が・・・)。

そんな話を友人にしたところ、

「批判できるってことは人に興味があるってことだからいいんじゃない?

私は人にそこまで興味ないし、好きにすればいいって思うもん。」

と言われました。

友人のこの潔さが素敵だと思うとともに、

批判してしまうということは、気になるということなのだと気づきました。

嫌だから気になる→批判する だけでなく、

「好き」だからもっと何かできるのでは?と気になる→批判する がまぎれている場合もあるのだなぁ、と。

 

マイメロさんは

「おんなじじゃないことも楽しめるといいよね。」と締めくくりましたが、

いつも同じ「好き」を続けなくても、いろんな状態を受け入れて過ごせたら、

自然にもっともっと「好き」が増えていくのかもしれません。

楽しみです♪